戦争もコロナ禍も「災害」と考える日本人の「災害死史観」とは
戦争もコロナ禍も「災害」と考える日本人の「災害死史観」とは
「災害死史観」と「戦争死史観」とは
ウクライナとロシアの戦争、イスラエルのガザ地区攻撃、いずれも明確に意図があって「人間」が起こした戦いであり、やめるのも人間の意思次第です。当事国があり、そこには責任者がいて、その意思で戦争が始まり、継続、停戦が決まります。ところが、これらの戦いに関する日本のマスコミ報道は、その戦いが人間の意思によってなされていることを忘れたかのようなものがあります。例えば、ミサイル攻撃を受けたウクライナやガザ地区の報道では、あたかも人々が「戦争」という「自然災害」に襲われているかのような扱いです。その報道には、攻撃の被害者を
「地震や水害にあった不幸な人々」
という認識でみているのではないかとさえ思えます。
更に「ウクライナ復興募金」や「難民支援」といった活動が、日本でなされるのを見るにつけ、日本人の国民性として、「戦争」と「災害」を同一視してしまう傾向があることを感じます。
このように、戦争によって被害を受けたことに対して、「人為的な結果」と考えず、「不可抗力の結果」とみるような考え方を「災害死史観」と呼びます。日本では、毎年のように地震、台風、豪雨、大雪などの自然災害が起きます。自然災害は、基本的に予想が難しく、事前に対策を立てたとしても、それを大きく超えるような被害を受けることになります。このためか、戦争も「不可抗力の結果」と日本人はみてしまうのかもしれません。
また、自然災害は、比較的短期で終わり、その後は復旧・復興となります。たとえ死者が出ることがあっても、原因は大自然であり「責任者」は存在しません。
一方、「災害死史観」に対する言葉が、「戦争死史観」です。戦争には、当事国、責任者がいます。戦争死には、必ず殺された人と殺した人がいます。また、戦争状態は長く続くこともしばしばです。ユーラシア大陸の人々の考え方は、このタイプです。「歴史的な恨みは、何百年も続く」と思う人々もいます。
この「災害死史観」と「戦争死史観」の違いは、戦争や災害に限らず、社会的な出来事、仕事上の出来事に対する認識の仕方の差にも表れます。
例えば、「コロナ禍が終焉して教訓として何を残すか」といったことでも、この考え方の差があります。あんなに大騒ぎしたコロナ禍も「熱さを過ぎれば、熱さを忘れる」ではありませんが、「過去のこと」になっています。当時問題となった医療体制の崩壊、政府の緊急時の権限強化、大学の秋入学など話題となったことは、もうマスコミが扱うことはありません。完全に「災害死史観」的な見方になって、「何かできることがあったのでは?」という問題意識はありません。
災害死史観は、歴史を「流れ」と見ています。
「嫌なことは、水に流して前に進もう」
というプラス面もありますが、一方で歴史的出来事を徹底的に分析し、次に活かそうということではなく、犠牲者のことを記憶に留めるといったことで終わります。
一方、戦争死史観では、歴史を「積み重ね」と捉えます。
「とことん原因を究明して、責任者は永遠に責任を取り続けなければならない」
という態度です。過去の事象の責任を明確にし、教訓として活かすことに繋がります。
さて、どちらがいいかということになりますが、どちらか一方的な史観で出来事を捉えることが危険なことは確かです。今、物事を自分達がどちらの史観で見ているか意識することこそ重要ではないかと思います。
この記事は、「戦争死史観」、「災害死史観」から見た物の見方を紹介し、仕事や生活に生かすことができないかを考えました。
なお、「戦争死史観」、「災害死史観」について、大石久和著「国土が日本人の謎を解く」(団系セレクト)に書かれています。
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「災害死史観」の問題点
「災害死史観」は自然災害による死を「不可抗力の結果」として捉える傾向があります。地震、津波、台風といった自然災害は人間のコントロールを超えた力により引き起こされるもので、犠牲者の死も「避けられない事態」によるものであるという認識が一般的です。このため、災害死史観においては、個別の責任を問うことよりも、被害者の記憶を留め、教訓を次世代へ伝えることが重視されます。また、犠牲者を悼むことで、被害を最小限に抑えるための防災意識の向上や、災害時における地域社会の連帯感の醸成に繋がるとの期待があります。
ビジネスにおいて、投資の失敗や製品検査の不正などのコンプライアンス違反といった事象に対して、災害死史観で対処すると
「起きたことは、しかたない。早く次に進もう」
ということになります。過去にコンプライアンス違反などで問題を起した会社が、再び問題を起すと決まって、その前に起こした問題に対する分析の甘さ、対策の不十分さが指摘されます。
私自身、そうした会社にいた経験があります。問題が起きたとき、
「問題を早く片づけて、次へのスタートを切ろう」
と言ったリーダーに人気が集まります。まるで、地震の後の災害復旧のスローガンと同じような響きです。次へ進むことを声高に叫ぶリーダーは、より「頼もしく」見え、従業員の信頼を得ることになります。
日本の社会や企業の風土として、うまく行かなかったこと対して
「誰が、いつ、どう誤ったか」
を追究し、誰かに強く責任を問うことは、出来にくいものです。理想的には、とことん失敗の原因を追求し、失敗の原因を作った個人とその組織や仕組みに対して対策をたて、「次に進もう」と言えるリーダーがいてくれたらと思います。
「戦争死史観」の問題点
「戦争死史観」は、戦争で命を失った人々の死を「人為的な犠牲」として見ます。戦争は人間同士の対立や国家間の対立により引き起こされるものであり、死者は戦争という特定の人為的な行為や選択の結果として亡くなったと考えます。したがって、この史観では、死は「避けられた可能性があるもの」や「責任追及の対象」として捉えられる傾向があります。また、戦争による死は、加害者と被害者の関係が強調され、責任を持つ主体を明確に存在させようとします。
過去に起きた事象をとことん分析し、責任を追及することは、その後の発展のためには重要ですが、時として停滞を招きます。
例えば、日本人は、中国や韓国との間で「歴史問題」を議論して、中国や韓国の「終わりなき謝罪を求める」態度を理解できません。彼らは、典型的な「戦争死史観」を持っている人々であることを考えると当然の主張と考えることもできますが、謝罪を続けて「前に進まない」という状況になってしまいます。どこかで、妥協ということが、両国にとって「政治」になります。
まとめ
過去に起きた事象に対する見方には、「災害死史観」と「戦争死史観」とがあります。
「災害死史観」では、歴史を「流れ」と見ます。
一方、「戦争死史観」では、歴史を「積み重ね」と捉えます。
日本では、「災害死史観」で考える人が主流です。
この史観の違いは、戦争や災害の犠牲者への追悼の形やその記憶の継承方法に違いを生み、社会的対応や教育に影響を与えています。
参考記事:長い会議をやっても「決められない」、日本的な理由とは