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「若い時の苦労は買ってでもせよ」とは言うが、「苦労」自体に価値はない!

 
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長年、大手鉄鋼会社及び関連企業、米国鉄鋼会社に勤務。仕事のテーマは、一貫して生産性の向上。生産部門、開発部門、管理部門、経営部門において活動。何事につけても「改革しよう」が、口癖。日本経営士会会員。 趣味:市民レベルのレガッタ、ゴルフ。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」とは言うが、「苦労」自体に価値はない!

「苦労」には、「買ってもいい苦労」と「買ってはいけない苦労」がある。

「若い時の苦労は、買ってでもせよ」
という言葉があります。会社の上司などが、若い人に対して使う言葉です。長時間残業が当たり前の時代には、威力を発揮した言葉です。これは、教訓というより、仕事を押し付けるために発明された言葉に思えます。(個人的見解です。)この言葉、ツッコミどころが、沢山あります。
1)「若い時」の苦労は尊いが、歳がいってからは、そうではないのか?
「若い人には、苦労してもらい、年上の上司は、苦労しなくてもいい」ということでしょうか。あるいは、若い時の苦労は成長の糧になるが、歳を取ってからの苦労は成長と関係ないということでしょうか。
2)そもそも「苦労」とは、どんなことか?
毎日残業をして、膨大な量の伝票の整理をすることで、何か得られるものがあるのでしょうか。パソコンのテクニックは多少上がるかも知れませんが、それ以外に何を得たのでしょうか。
「若い時の苦労」について、あるメーカーの営業部長と話をしたことがあります。その中で、この営業部長は、自分が若い時の体験談を紹介されました。
「クレームが起きると、誰しもお客様に行きたがらないので、自分がどんなクレームでも引き受けていました。お客様に怒鳴られたり、製造現場では、煙たがられたりして苦労しましたが、そのうちにお客様や製造現場と人間関係ができて、誰よりもお客様や現場に人と親しくなれました。」
こんなエピソードが、「若い時の苦労は、買ってでもせよ」の根拠になっているのでしょう。しかし、この人の「苦労」は、本当に苦労だったのでしょうか。何度もお客様や製造現場に足を運び、叱られたり、罵声を浴びせられたりと肉体的にも精神的にも大きな負荷がかかったことは事実です。しかし、本人に言わせると
「今、振り返ってみると、緊張感や達成感もあって案外楽しかったのかも」
ということです。何十年も前の出来事で、この間に嫌なことは薄れて、楽しかったことだけが記憶に残っているのかも知れませんが、「案外楽しかった」は、本音かも知れないと思います。
苦労には、「買ってでもしていい苦労」と、「買ってはいけない苦労」があると私は考えています。
1)「買ってもいい苦労」とは、「やって楽しいこと」こと。
2)「買ってはいけない苦労」とは、「やって楽しくない」こと。
「楽しいこと」とは、「好きなこと」です。「やって楽しくないこと」とは、「嫌いなこと」と言い換えることもできます。
「やって楽しくないこと」は、苦しいだけで長続きしないものです。それを我慢してやり続ければ、益々苦しくなるものです。一見、つらいだけのようなことも、「案外面白いかも」「楽しいかも」と思えたら、苦労を買ってもいいかもしれません。苦労を売り込む上司は、「案外楽しいこと」であることを伝えることができたら、嫌われずに苦労を押し付けることができます。(笑)


仕事と人生

「買ってもいい苦労」とは、「やって楽しいこと」こと

そもそも「苦労」という言葉を辞書で引くと(大辞泉)
①  精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること。「苦労が絶えない」「苦労を共にする」「苦労の種」「苦労して育てた子供」
 (多く「ごくろう」の形で)人に世話をかけたり、厄介になったりすること。「ご苦労をかける」「ご苦労さま」
とあります。つまり、精神的・肉体的な負荷による苦しい思いを指しています。苦しい思いがなければ、苦労ではないのです。外部からは、本人が苦しい思いをしているかどうかわかりません。精神的・肉体的な負荷が大きければ、「苦労している」ということになっています。
日本の植物学の父と言われる牧野富太郎は、膨大な植物の標本を集め、分類し、図鑑にまとめ上げました。その過程で、13人の子供と莫大な借金とで、さぞや苦労したのではと思われます。かれは、正規の大学に行っていないこともあり、学者として認められるまでの精神的負荷、そしてなにより植物採取から標本づくり、論文や図鑑の制作まで、一人でやるという肉体的な負荷は大きかったはずです。しかし、この人ほど、苦労と言いう言葉があてはまらない人はいません。それは、植物採集、分類、講演をするとき、とても楽しいそうであったとの記録や映像が残っています。楽しいことは、苦労ではないのです。

「買ってはいけない苦労」は、「やって楽しくない」こと

どんなことでも、「やって楽しくない」ことは、進んでやる価値があるか疑問です。苦労することが、美徳という考え方から、
「進んで人の嫌がることをしなさい」
という人もいます。しかし、そもそも「楽しくない」「嫌なこと」を無理にやっても長続きするのでしょうか。そこまでやる必要なんてないというのが、私の考えです。
「何でもかんでも苦労を重ねればどんどん成長できる」
というのは、あてになりません。苦労しても得るものの少ない「無用な苦労」が会社や世の中に溢れています。例えば、成果や上司の評価につながらない会社の雑用をたくさん引き受けることや、来る仕事を断らずに全部引き受け、長時間残業してなんとかやり遂げるといったことです。よく考えずに勢いで苦労を買って出るのは主体性に欠けた行動であって、結局損をしたり、後々後悔したりすることになります。
「苦労すること」自体に何も価値はありません。例えば、厚さ5センチの木材を4センチに削って家具を作ろうとするとき、手作業で丁寧にサンドペーパーを使い苦労して磨くことはしません。電動の工具で、4.1センチまで電動工具で削って、のこり1ミリをサンドペーパーで仕上げます。苦労するとは、時間や労力をかけることであり、それ自体価値があるわけではないことを理解すべきです。

そんな「買ってはいけない苦労」でも、「やってみると案外面白い」「楽しさに気付く」というのがあります。同じ作業、仕事でも、そこに「楽しさ」を見つける名人がいます。
例えば、単純な伝票処理も何か工夫してうまく行くと、ちょっと「楽しさ」を味わえます。嫌なトイレ掃除もやってみると、妙な達成感を味わえます。
一流と言われるスポーツ選手は、どんな競技であれ、とてつもない量の基礎的練習をしています。そして、それは競技が好きだからできると言います。
そんな例として、元南海ホークスのホームラン王故門田博光氏の生前のインタビューをご紹介します。彼は、朝も夜も時間があれば、素振りを何時間もしていました。体が小さいというハンデがあるので、誰よりも多くバットを振ることを貫いたそうです。振った回数をノルマにしているうちは、苦労と感じていたようです。ところが、そのうちにバットの風切り音が変わっていることに気付きます。
「こう振れば、音が違う」
「右足を引いたスタンスにするとまた違う」
といったことに気づきだすと、楽しさが生まれ、時間を忘れて振っていたとのことです。「楽しくないこと」「面白くないこと」は、「買ってはいけない苦労」です。ただし、「楽しくなりそう」「面白くなりそう」と思えば、「買ってでも苦労」をしてみてはどうでしょうか。

まとめ

「若い時の苦労は、買ってでもせよ」
という言葉がありますが、苦労には、「買ってでもしていい苦労」と、「買ってはいけない苦労」があります。
1)「買ってもいい苦労」とは、「やって楽しいこと」こと。
2)「買ってはいけない苦労」とは、「やって楽しくない」こと。
「やって楽しくないこと」は、苦しいだけで長続きしないものです。それを我慢してやり続ければ、益々苦しくなるものです。一見、つらいだけのようなことも、「案外面白いかも」「楽しいかも」と思えたら、苦労を買ってもいいかもしれません。苦労を押し付ける立場の上司は、それが「案外楽しいこと」であることを伝えることが大切です。

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長年、大手鉄鋼会社及び関連企業、米国鉄鋼会社に勤務。仕事のテーマは、一貫して生産性の向上。生産部門、開発部門、管理部門、経営部門において活動。何事につけても「改革しよう」が、口癖。日本経営士会会員。 趣味:市民レベルのレガッタ、ゴルフ。
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