還暦を超えた卒業生が思う「期待する公立高校教育」について
還暦を超えた卒業生が思う「期待する公立高校教育」について
同窓会で感じた公立高校の存続意義損失不安
先日、母校の同窓会総会に出席しました。この高校は、地方の公立進学校として120年を超える歴史を持っています。出席していた卒業生の多くは、私を含め還暦を過ぎていました。そんな人々が、高校時代の出来事や人物を鮮明に語り、まるで昨日のことのように思い出されました。
その内に来賓として出席した現役の校長が挨拶したのですが、その内容は、
・今年、何人が難関大学に合格した。
・どの運動部/文化部が地域大会や全国大会に出場した。
といった話でした。還暦を超えるような人達にとって、自慢げに語る校長の話は、残念ながら卒業生に響くものではなかったように感じました。
卒業生からすると、「その高校に行って良かった」と思えることがあったかどうかです。高校時代に形成された価値観や人との出会いが、その後の人生の方向性を決定づけるようなことを持てれば、出身高校に価値を感じます。
出席した卒業生に難関大学を出た人、社会的地位を得た人もいますが、その人にとって「母校」が必ずしも価値があったかどうか分かりません。「難関大学」に入ったことや「社会的地位を得たこと」は、その人にとって価値ではありますが、「母校」の価値とは別物です。卑近な例で言い換えれば、高校とは、「難関大合格」という商品をどう買うかの手段です。現金で買ったか、クレジットカードで買ったか、PayPayで買ったといったことです。
現役校長の話は、高校の価値であって、そこにいた同窓生の価値とは異なっていたという気がします。
続けて校長は、高校の授業料無償化により、「有望な生徒が私立高校に流れる」ことを心配していました。また、「私立や公立の中高一貫校を希望する子どもも多い」といったことを懸念していました。これらの言葉の中に、今の公立普通科高校の課題を垣間見た思いがしました。校長の懸念は、学校の運営者としての懸念です。重要なのは、高校を卒業した生徒が、その後卒業生として「高校の価値」を見いだせるかではないでしょうか。
卒業生が本当に価値を感じる高校経験にはいくつかの要素があります。同窓会で語られる高校時代の価値は、数字では測れません。卒業生が最も重要だと感じるのは、次の3つに集約されます。
1)その高校にいたことで、人生の考え方が変わった
2)人生に影響を与える人物に出会った
3)未知の分野に出会い、世界が広がった
といったことです。高校は「人生の物語が始まる場所」であり、その価値は、スキル教育ではなく、人生を形づくる「出会い」と「経験」を提供する場であると考えます。
この記事では、人生の終盤に差しかかった者が考えた、高校教育の在り方を語ります。
広告
地方進学校の現状と「成果指標」の限界
地方の公立進学校は、かつて地域の学力水準を支える中心的存在でした。しかし、高校授業料無償化や私立高校の設備投資拡大や教育内容の充実により、地方の公立進学校はかつてない競争環境に置かれています。私立高校は進学コースの細分化、外部講師の導入、スポーツ・文化活動の専門化など、目的特化型の教育を展開し、公立進学校(普通科)はその影響を強く受けています。
こうした状況の中で、学校が「難関大学の合格者数」「運動部・文化部の全国大会出場」といった「成果指標」で価値を出そうとしても、限界にぶつかるのは当然でしょう。
同窓会に参加した卒業生には、難関大学に進学した者や全国大会に出場した経験を持つ人がいましたが、彼らは必ずしも「学校の指導のおかげで合格した」「学校の部活で鍛えられた」とは感じていません。
むしろ、30年前の卒業生であっても、
「受験は塾や予備校で鍛えられた」
「スポーツは外部クラブで鍛えられた」
というケースが多く、学校の役割は限定的だったようです。
さらに近年では、外部クラブの専門性が飛躍的に高まり、全国大会出場者の多くが学校ではなくクラブで鍛えられています。
例えば、サッカーの有力選手は、高校のサッカー部にはおらず、クラブチームやJリーグのユースチームに所属していて、学校の部活動は、卒業生の「思い出の中心」ではなくなりつつあります。
価値を感じる高校経験とは
還暦を超えた卒業生が高校時代を振り返り価値を感じる経験は、単なる「思い出」ではなく、その後の人生の基盤を形づくった出来事です。それらは、学力や大会成績といった成果指標とは異なる次元にあり、むしろ「人間としての成長」「価値観の形成」「世界の広がり」といった、人生の根幹に関わる体験です。以下に、そんな価値ある体験要素を3つ挙げます。
その高校にいたことで、人生の考え方が変わった経験
高校時代は、価値観が定まっておらず、外界からの刺激を吸収しやすい時期です。そのため、何気ない授業の一言や、教師の叱咤激励、同級生との議論が、後の人生に決定的な影響を与えることがあります。
授業で教師が語った一言で、人生の方向を変えてしまうことがあります。
ある教師が、歴史の時間に
「君ら気候のいい瀬戸内のほとりでボーと生きていたら、災害の多いところ連中に勝てないぞ!」
と言ったことを同級生達は覚えていました。それまで、意識せずに瀬戸内に暮らしていたことに気付かされた瞬間でした。たぶん幕末の長州・薩摩の活躍の話の中で、出て来たのでしょうが、何人かの生徒は「世界の広さ」に気付く一言だったかと思います。
高校には、歴史や伝統があります。
「我が校は、戦後国体のときに会場の1つとなり、昭和天皇が来校されたことがある」
あるいは、
「海外で活躍する卒業生がいて、その人が寄贈した海外の化石標本である」
と言われる恐竜の卵があり、妙にワクワクしたのを覚えています。何人かの生徒は、
「自分も将来海外で仕事をして、何か寄贈したい」
なんて思ったとの話があります。
人生に影響を与える人物との出会い
高校は、人生で最も多様な人間と出会う場所です。尊敬できる教師、生涯の友人、自分の価値観を揺さぶる同級生との出会いは、人格形成に深く関わります。
1)尊敬できる教師との出会い
高校の教師は、単に教科を教える存在ではなく、生き方を示すロールモデルであったり、思考の枠を広げる案内人であったり、人生の節目に寄り添う伴走者であったりします。
また、教師の生き方や姿勢は、生徒に強い影響を与えます。いわゆる「あこがれの先生」です。生徒に真摯に向き合う姿、誠実に生きる姿は、言葉以上に生徒の心に残り、人生の指針となります。
2)生涯の友人との出会い
高校時代に出会った友人は、利害関係のない純粋な関係であり、人生の支えとなることがあります。同じ目標を追った仲間、部活動で苦楽を共にした友人、価値観の違いを乗り越えて理解し合った相手といった関係は、社会に出てからの人間関係とは異なる深さを持ち、人生の節目で大きな支えとなり得ます。
3)自分の価値観を揺さぶる同級生
高校には、自分とは異なる背景や価値観を持つ同級生が集まります。例えば、家庭環境の違い、思考の違い、夢や目標の違いです。こうした違いに触れることで、自分の価値観が揺さぶられ、思考の幅が広がります。
「自分と違う考え方を持つ人間がいる」という事実を知ることは、社会で生きる上で極めて重要な学びです。
未知の分野に出会い、世界が広がった経験
高校は、未知の分野に触れる最初の本格的な機会です。
文学、哲学、科学、芸術、社会問題など、学校で触れた新しい世界は、生徒の人生を大きく広げます。
最近の傾向として、大学の入試科目中心の授業で、敬遠される科目も多くあります。例えば、文系を希望する生徒に数学の微積分は関係ありませんし、理系を希望する生徒が日本史を選択することは稀です。また、生徒の接する情報がSNSやスマホのニュースであり、興味のある分野の情報しか知りません。
そんな中、幸いにして高校の授業で全科目に一通りではありますが、接する機会がいまでもあります。思わぬ世界に接して興味を持ち、その後の道を決めた人も少なからずいます。マイナーな科目と言われる分野に触れ、世界が広がった経験することで、その後の人生を方向付けることになるかもしれません。
スキル教育は外部に移り、高校は「人間教育」に特化すべき時代
現代は、スキル教育が外部機関に移行した時代です。
受験技術は塾や予備校、スポーツ技術はクラブチーム、芸術の専門訓練は外部教室が、担っています。
また、私立高校はこの流れを積極的に取り込み、専門性を高めています。公立高校が同じ土俵で競うことは、もはや現実的ではありません。だからこそ、公立高校は「学校にしかできない教育」に特化すべきでしょう。
高校教育の核心は、
「人生に影響を与える出来事や出会いを体験できる場を提供すること」
ではないでしょうか。
残念ながら、文科省の学習指導要領は、全国一律の教育水準を保証する一方で、学校独自の教育理念、地域に根ざした学び、生徒の個性を伸ばす教育を展開する余地を狭めてきました。その結果、学校は「成果指標」で評価されるようになり、予備校化が進んだように思えます。
今こそ、画一的な学力よりも、個人の人生を豊かにする経験を重視する教育へ転換すべき時期に来ていると考えます。
今後の公立高校教育の在り方
以上を踏まえ、今後の公立高校教育は次の方向を目指すべきです。
1)スキル教育は外部機関に任せる
予備校やクラブと競う必要はありません。むしろ、外部の専門性を認め、学校は別の価値を提供すべきです。
2)高校は「人生を変える出会いと経験」を提供する
高校は、様々な思想・価値観に触れる授業、生徒同士の対話、教師との深い関わり、新しい分野との出会いといった経験の機会を提供することで、生徒の人生を豊かにします。
3)同窓会で語られるべきは「感動」である
同窓会で語られるべきことは、難関大学の合格者数ではなく、
「あの先生の言葉で人生が変わった」「あの友人との出会いが今の自分をつくった」「あの経験で価値観が変わった」といった物語であり、これこそが学校教育の成果ではないでしょうか。
広告

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
まとめ
高校は「人生の物語が始まる場所」であり、その価値は、スキル教育ではなく、人生を形づくる「出会い」と「経験」を提供する場であると考えます。
例えば、人生観を変えた言葉、人格形成に影響を与えた人物、世界を広げた未知の分野との出会いなどです。
これらは、予備校やクラブでは決して提供できない、高校教育の本質的価値であり、公立高校が目指すべき方向を示しているように思います。
