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「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」をマナーとエチケットから考える

 
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長年、大手鉄鋼会社及び関連企業、米国鉄鋼会社に勤務。仕事のテーマは、一貫して生産性の向上。生産部門、開発部門、管理部門、経営部門において活動。何事につけても「改革しよう」が、口癖。日本経営士会会員。 趣味:市民レベルのレガッタ、ゴルフ。

「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」をマナーとエチケットから考える

 

「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」をマナーとエチケットから考える

「人に何も迷惑をかけていません」
家族から捜索を依頼された警察が、高校生を保護したときの言葉です。この子は、確かに犯罪を起こした訳ではありせん。学校が休みの間、家出をして街をうろついていただけです。
「『迷惑をかけていない』と言っても、ご両親が心配されていたのですよ」
そう警察官が言うと、
「心配するのは、親の勝手でしょう。誰にも迷惑をかけてないんだから!」
終始、噛み合わない会話が続いたとのことでした。
また、コロナ禍の中、自粛が呼びかけられているのに会食をしたことが指摘された公務員が、
「人に迷惑をかけたわけでもない。たとえ感染しても自分達の責任ですから」
と開き直った言い方をした話をニュースで見ました。
いずれも、「人に迷惑をかけるかどうか」を行動の判断基準にした言い訳です。「人に迷惑をかけるかどうか」を物事の判断基準にすることには、同意できません。そもそも、「迷惑」は、客観的な基準があるわけではないのです。自分で勝手に「迷惑をかけていない」と思っているだけです。例に挙げた家出した高校生もコロナ自粛の中会食した公務員も、「迷惑をかけていない」とは、「法律を犯していない」と解釈しています。しかし、社会には、マナーやエチケットと言われるものがあります。社会の中で円滑な人間関係を築くためには、適切にマナーやエチケットを守ることが求められます。
この記事では、「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」という考え方(言い訳)に対して、マナーやエチケットが果たす役割について考えてみました。

「迷惑」には基準がない

「人に迷惑をかけるな」とは、家庭や学校で子供達に対してよく使う言葉です。ところが、「迷惑」には明確な基準がありません。「法律を守っていれば、迷惑をかけたことにならない」と考えることができますが、これは最低限の話です。
人々が持っている「迷惑」の基準は、「自分の利益を犯されない」「不快な思いをしない」といった漠然としたものです。これらは、人によって受取り方が異なります。たとえば、人が集まって騒ぐのは、そこで商売をしている人にとって利益であり、住んでいる人には何の利益もありません。人が騒いで、「不快」に思うかどうかも、受取る人によって違います。
もし、「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」という考えを無制限に認めるならば、
Aさんがすることは、迷惑だ」
とBさんが思うと
Aさんは何もしてはいけない」
というAさんにとっての「迷惑」になります。すると、
「他人のことを迷惑と思ってはいけない」
という考えも同時に成立することになってしまいます。
行動の自由を制限する基準が「迷惑」であるならば、「他人を迷惑に思う自由」も無制限に許容するわけにはいかないでしょう。「私はあなたが隣で生きているだけで迷惑だ」という極論は、自分で迷惑と感じるのは勝手ですが、他人の行動を制限する理由として受け入れられるものではありません。
そもそも、それぞれの人が「自由」に行動すれば、互いに干渉してしまします。そこに法律による制約があり、マナーやエチケットといったことでバランスを保っているのです。

 

マナーとエチケットの違い

日本で使われている「マナー」は、英語のmannerからきています。その意味は、「方法」「態度」「行儀」「習慣」といったことです。
一方、エチケット(etiquette)は、もともとフランス語で「ふだ」を意味するものです。「宮廷に招待者に対する注意書き」から出たようで、その後「礼儀作法」の意味で使われるようになったとのことです。
「マナー」と「エチケット」の間に、大きな違いはないようですが、しいて言えば、「マナー」の方が対象となる範囲が広いようです。「エチケット」がある特定の相手に対する言葉であるのに対し、「マナー」は社会集団に対する言葉として使われています。
マナーは社会的なルールや慣習の集合体であり、他者への敬意や礼儀を表す手段です。マナーを守ることによって、人々はお互いを尊重し、円滑なコミュニケーションを築くことができます。例えば、公共の場でのマナーは、騒音を避ける、ゴミを捨てない、列に並ぶなど、他の人々への配慮を意味します。したがって、「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」という考え方は、マナーの規範を無視することになり、他者との共存を乱す可能性があります。
一方、エチケットは個人の行動や態度に対する道徳的な基準を示すものです。エチケットは社会的な規範として存在し、他者への思いやりや公平さを促進します。例えば、会議や食事の場でのエチケットは、他の参加者に対して礼儀正しい態度を持つことを求めます。エチケットを守ることは、他者に対する尊重と信頼を築くために重要です。したがって、「人に迷惑をかけなければ何をしても良い」という考え方は、エチケットの原則を無視し、他者との関係性を損なう可能性があります。

マナーとエチケットが基本のゴルフという競技

「ゴルフは、マナーとエチケットのスポーツ」
何十年も前の話ですが、私がゴルフを始めたころ先輩プレーヤーからさんざん言われたことです。今では、こんなことを言う人は、てっきり少なくなってしまいました。しかし、プロゴルファーの研修や大学のゴルフ部では、「マナーとエチケット」が今も重要視されています。
ゴルフでマナーとエチケットを重要視していることは、ゴルフ規則の第1章が「エチケット」になっていることからもわかります。規則の冒頭には、「ゴルフの精神」という項があり、こう書かれています。
「ゴルフは、ほとんどの場合、審判員の立会いなしに行われる。また、ゴルフゲームは、プレーヤー一人一人 が他のプレーヤーに対しても心くばりをし、ゴルフ規則を守ってプレーするというその誠実さに頼っている・・・・」
ゴルフをいう競技は、 ゴルフは競技者による自己申告制を採用しています。自分でスコアを記録し、自分でペナルティかどうかを判断、申告します。ゴルフは他の競技と比べて個人の責任が大きく、競技者自身がルールを守り、フェアに行動することで成り立っています。そのため、他の競技者やコースに対して敬意を払い、スポーツマンシップを発揮することが重要です。
また、ゴルフは、冷静さを求められる競技であり、競技者は集中してプレーする必要があります。他の競技者の迷惑にならないような態度を保つことが求められます。他の競技者の他にも、コースの環境を保護していくことが求められ、ボールの落下跡、打った跡を補修しなければなりません。そして、ゴルフはビジネスや社交の場としての一面があります。ゴルフのラウンドでは、他の競技者と会話するなど交流の機会があります。相手との良好な関係を築くためにも、マナーやエチケットを守ることが重要です。
ゴルフにおいての「何をやっても良い」は、ルールに加えて「マナーとエチケットを守って」という条件があるのです。


はじめてのゴルフルール

まとめ

人に迷惑をかけなければ何をしても良い」という考え方は、個人の自由と他者への配慮のバランスを逸脱しているものです。マナーやエチケットは、このバランスを取るのに基準を与えてくれています。
マナーやエチケットを守るということは、社会全体の調和と共存を促進する重要な役割を果たしています。個人の自由は尊重されるべきですが、それが他者への迷惑や不快感を引き起こす行動に繋がる場合は、マナーやエチケットの原則を考慮する必要があります。より良い社会を築くためには、自己の欲求と他者への思いやりのバランスを取ることが重要です。

参考記事:「意味のないルールは守らない」、人が「ルールを守らない」4つの理由とその対策

業務効率化を妨げる日本語、「反省」に含まれる道徳的意味

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