SDGsの達成に欠かせない「世界の人口抑制」を議論できない4つの理由
SDGsの達成に欠かせない「世界の人口抑制」を議論できない4つの理由
SDGsの達成に欠かせない「世界の人口抑制」を議論できない4つの理由
「地球温暖化で災害が多発する」
「温暖化防止には、二酸化炭素の排出をゼロにすること」
SDGsやGXの説明で使われている言葉です。SDGsには、17の目標が設定されていますが、とりわけ地球温暖化とその原因とされる二酸化炭素削減は大きなテーマです。これは、今後のエネルギーをどうするかということでもあります。
SDGs(Sustainable Development Goals)は、「持続可能な開発目標」と訳されています。言い替えると「開発(発展)を持続する」ということで、世界規模でエネルギーの使用を拡大し続けるという意味が隠されています。SDGsの中では、エネルギーを化石燃料から太陽光や風力といった再生可能エネルギーに変換することを謳っています。しかし、これら再生可能エネルギーといっても元は太陽エネルギーであり、地球に降り注ぐ量は一定です。(太陽エネルギーは、数十億年単位では増加傾向。また、天文学的変動、火山活動などで地球に到達する量は数万年単位で変動しますが。)
太陽から地球に到達するエネルギーが一定ですので、世界で人口増が続ければ、どこかの時点で破綻することが想像できます。「未使用の太陽エネルギーが十分にある」という意見もありますが、人類にとって未使用というだけです。人類の使用比率が高まれば、地球上の他の動植物の利用比率が下がることになり、結果として他の動植物は減るもしくは絶滅します。再生可能エネルギーも限られた資源です。
SDGsで挙げられている問題の根本原因は、「世界の人口が多過ぎる」ことにあります。世界の人口は、1900年には約16億人でしたが、2020年には約78億人になっています。つまり、この100年で世界人口は約5倍に増加しました。資源エネルギー庁の資料によれば、この100年で人口一人あたりエネルギー使用量は世界平均で6倍となっています。つまり、世界のエネルギー消費は、この100年で30倍です。このペースでエネルギーを使えば、再生エネルギーもやがて限界がくることは明らかです。しかし、SDGsのどこをみても「人口抑制」の話はありません。国連を始めとした国際機関、各国政府は、世界の人口抑制について議論すべきでしょうが、それができなのです。
人口抑制の話をどの機関も出来ないのには理由があります。
1)先進国の生活レベルを下げたくない。
2)どの国も自国の人口を減らしたくない。
3)人口抑制は、倫理的、宗教的に受け入れられない立場がある。
4)人口抑制問題を議論するには複雑でリスクが高過ぎる。
世界の人口抑制問題について、議論して得する国や人はまずいません。SDGsに代表される議論は、世界の人口増大問題を避けて、その影響と影響によって生じた課題への対策だけです。
かつて司馬遼太郎は、(もし同氏でなければ、ご容赦ください)
「宗教というものは、空洞である紙筒に糸を強く巻いたようなものだ」
と言っていました。
「神をいくら突き詰めて考えても空虚であり、その周りの幾重にも固められた宗教理論にぶつかるだけ」
との主旨を話していたと記憶しています。地球環境などSDGsの議論も宗教と同じと考えるのが賢い対処法かもしれません。
先進国の生活レベルを下げたくない
そもそも、SDGsにある「持続」とは、
「ヨーロッパの人々の暮らしが持続可能」
と解釈してもいいように思えます。地球の温暖化を防ぐために二酸化炭素を削減するには、エネルギーの使用量を減らす必要があります。ところが、物理的生活レベルは落したくないので、代替え策として、再生可能エネルギーを持ち出したということでしょうか。
経産省の「平成33年版 エネルギー白書」によれば、EUや日本など先進国の一人当たりのエネルギー消費量は、インドの約4倍です。これが、米国やカナダになると10倍。先進国の一人当たりのエネルギー使用量をインドの2倍程度に抑えることができれば、再生可能エネルギーだけで全世界の人々は生活できるでしょう。ところが、このレベルを先進国の人々が受け入れることはできないでしょう。自家用車の全廃、肉食の制限、冷暖房の抑制など100年前のような生活をしろと言っても不可能です。また、もし昔のようなエネルギー消費の少ない生活になれば、先進国の産業そのものが崩壊します。経済は、余剰なもの(「付加価値」とも呼んでいますが)を生産・消費して発展してきたといっても過言ではないのです。
この30年の世界をみれば、中国が一人当たりのエネルギー消費量を増やし、その結果世界全体で二酸化炭素排出量の増大、食料不足、環境問題を大きくしたと言ってもいいぐらいです。ことさら中国を悪者にしたいのではありません。今まで、一人当たりの消費が小さかった国が、少しばかり拡大しただけで、世界の環境が変わっています。同じことが、インドでおきれば、更なる問題が地球全体に及びます。
先進国の本音は、自分たちの生活レベルは変えず、発展途上国の人々のエネルギー消費は、ほどほどに留めて欲しいということでしょう。ただし、もしこんなことを発言する人や国がいたら、世界中から袋叩きに合うに違いありません。
出典:経産省 平成33年版エネルギー白書
どの国も自国の人口は減らしたくない
先進国、とりわけ日本では、人口問題と言えば少子化、高齢化です。日本の人口は、減少を続けています。同様に先進国の人口は、横ばいから減少傾向です。自国の産業、国力を考えると人口は減らしたくありません。巨大な人口を持つ中国でさえ、「一人っ子政策」をやめ、人口減や高齢化を心配しています。どこの国も人口は減らしたくありません。たとえ、世界の人口が多過ぎると認識していても、自国の人口を減らそうという国はありません。
もし、どこかの国が、国際社会に対して「人口抑制」を提案するとしたら、
「人口を20xx年のレベルで固定しよう」
といったことになるでしょう。どんな組織も国別人口目標など口にすることは不可能です。現状維持の目標は、人口が減少傾向の先進国では、受け入れやすいでしょうが、発展途上の国は、絶対に受け入れられない提案です。それらの国では、今の人口増の勢いを止めることが困難であり、「この提案は、現状の先進国と発展途上国を固定化するもの」と受け止めるでしょう。
人口抑制は、倫理的、宗教的に受け入れられない立場がある
人口抑制は、倫理的、宗教的な理由で受け入れがたい問題があります。
例えば、キリスト教のカトリック教会は、人口抑制の手段としての人工的な避妊や中絶を支持せず、自然法に基づいた家族計画を提唱しています。教義上、「夫婦は性的行為を通じて結婚の目的である子どもの創造に協力するべきであり、避妊や中絶はその目的に反する」とされています。これが、発展途上国の地域宗教なら無視されるのでしょうが、欧州や米国に信者を多く抱えるカトリック教会です。これらの国が、うかつに「人口抑制」などと口に出来ないのは当然です。
もともと、人類は有史以来「人が増えることが善である」という前提でつくられてきた倫理や慣習の下で生活してきました。人口抑制は、これに逆行する考え方です。立場上、これを受け入れることの出来ない人々がいるのです。
人口抑制問題を議論するには複雑でリスクが高過ぎる
SDGsの目標に沿って、貧困をなくし先進国と発展途上国との生活格差をなくそうとすることは、エネルギーの消費格差をなくすことです。先進国と発展途上国とのエネルギー消費格差をゼロとは言わず、2倍以内位で抑えることも困難です。そもそも「平等」が目標の発展途上国では、タテマエとして先進国の半分の生活レベルで満足とはなりません。現に中国は、「そのうちに米国並み」を目標としてきたのです。
二酸化炭素の削減でも、化石燃料を持っているロシアや米国とそれを持たない日本や欧州では考え方が違います。
人口抑制をダイレクトに議論すれば、宗教や倫理観の問題がでてきます。
また、出生率は、生活が豊かになると自然に低下するというデータがあります。ところが、明快に因果関係が説明されている訳でもなく、何が有効なのか良くわからないのが本当のところです。ユニセフは、「人口爆発の抑制には5歳未満の子どもの死亡率を低下させること が一番良い方法である」と主張しています。(参考記事:ユニセフ「人口爆発を防ぐ最良の方法」)
結局、人口抑制を議論するとしても、具体論は不可能でしょう。将来の世界の人口目標について話ができればいいところです。個別の国の人口目標など誰も議論したくありません。
世界の人口抑制という課題は、問題が複雑過ぎます。議論しようとすること自体が、批判されるリスクを持っています。この議論は、核兵器の削減・撤廃交渉より難しいのではないでしょうか。
人口抑制に関する議論は、各国に「宗教」「自国優先」「先進国の生活レベルを落とせない」という基本的な姿勢がある限り、解決策(妥協点)を見つけることは難しく、非難されるリスクが高いだけの関わりたくないことです。
ちなみに日本政府の世界人口抑制に対する見解をMicrosoft Bing やGoogleを駆使して検索したのですが、結果はゼロです。国を挙げてSDGsやGXを叫んでいても、危ないことは口を閉ざす方が賢明ということでしょうか。
まとめ
SDGsやGXの議論の中で、諸問題解決の切り札となる「人口抑制」の話が出ることはありません。それは、以下のような理由があるからです。
1)先進国の生活レベルを下げたくない。
2)どの国も自国の人口を減らしたくない。
3)人口抑制は、倫理的、宗教的に受け入れられない立場がある。
4)人口抑制問題を議論するには複雑でリスクが高過ぎる。
現実として、「世界人口抑制」を議論して得する国や人はなく、問題を棚上げしていくしかないようです。