「地頭(じあたま)のいい人」とは、「考える」ことを習慣化している人のこと
「地頭(じあたま)のいい人」とは、「考える」ことを習慣化している人のこと
「地頭(じあたま)のいい人」とは、「考える」ことを習慣化している人のこと
「ルールの説明を聞いて、すぐ理解する人」
「職場が変わっても、すぐに適応できる人」
「どんな人ともうまく会話ができる人」
こんな風に物事をすぐ理解する人、環境が変わってもすぐ馴染む人、誰とでもうまくコミュニケーションが取れる人。そんな人のことを「地頭(じあたま)のいい人」と言うことがあります。地位や学歴、年齢に関係なく、地頭のいい人とそうでない人がいます。
一般的に「地頭がいい」とは、勉強や知識の量に関係なく、元々の思考力や理解力が優れている人を指します。学歴や経験によらず、物事の本質をすばやく捉えたり、柔軟に対応したりできる力を持っていることが特徴です。
「地頭」というと、「生まれつきの知能」というイメージが浮かびます。子供の頃から、勉強している風でもないのに成績の良い子。スポーツや芸術において、いきなり大人のような技ができるといった子を思い浮かべます。一種の天才肌の子です。確かにそんなスーパー・チャイルドはいますが、様々な知能の研究では、知能は遺伝的要素とその後の環境で決まると結論付けられています。
(例えば、ニュースウィーク日本版「『知能が遺伝する』という事実に、私たちはどう向き合うべきか?」)
知能に関する要素として、ハードとしての脳とその使い方としてのソフトにOSやアプリにあたる思考があります。ハードとしての脳は、遺伝的要素が強いのでしょうが、OSである思考法(「考える力」)は、後天的です。つまり、「地頭がいい」とは、持って生まれた脳とその使い方が優れている人です。使い方ともいれる脳の優れたOSとは、物事に対して常に「考えている」ことです。生まれつき「考えること」をしている人もいますが、多くは後天的に「考えること」を習慣化したものです。
高校時代の勉強を思い出して下さい。生徒の多くは、先生の書く板書をノートに書き写していただけではありませんでしたか。あるいは、「試験に出るぞ」というポイントを丸暗記していただけではありませんか。たしかにこんな「作業」をすることでも、時間に比例して成績は上がります。しかし、試験終了と同時に全て忘れてしまうということが起きます。もし、考えながら(理解しながら)授業を受け、自習していたとすれば、もっと成果も上がり、その後も知恵として残る可能性が高くなっているのではないでしょうか。
「地頭がいい人」の勉強法は、自分なりに考えながら授業を聞き、自習することです。地頭のいい人のもつ理解力や頭の柔軟性は、「考える」ことから形成されるというのが、私の持論です。
「地頭がいい人」には、いくつかの考え方の特徴があります。その例を3つ挙げます。
1)抽象度が高い見方ができる
2)常に疑問を持っている
3)積極的思考をする
これらを習慣としてやっている人が、「地頭がいい」と言われるのです。
もし、地頭を良くしたいと思うなら、これらを意識して「考える」習慣をつけることだと思います。
この記事は、石田勝紀著「同じ勉強をしていて、なぜ差がつくのか」(ディスカバー21)を参考にしています。
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同じ勉強をしていて、なぜ差がつくのか?「自分の頭で考える子」に変わる10のマジックワード(小学校1年生~小学校6年生対象)
抽象度が高い見方ができる
「地頭がいい人」は、会話や説明を聞く中で、その内容を抽象化するのが得意です。あるいは、一般的な説明を聞いて、身近なものに当てはめるといった具体化する能力に優れています。
抽象化とは、特定の具体的な事例や個別の要素を離れて、より一般的で広い視点や概念に移行することを指します。
例えば、サンマについて具体から抽象度を高めていくと以下のようになります。
1)具体的なレベル:「サンマは秋に旬を迎える魚で、塩焼きにすると美味しい」
2)抽象的なレベル:「魚は季節ごとに旬があり、旬の時期に食べると美味しい」
3)更に抽象的なレベル:「季節に応じた生き物のサイクルがある」
抽象度の高い見方とは、このように詳細な具体性を削減し、物事をより包括的に捉えることです。
「地頭がいい」と言われる人は、
「一を聞いて十を知る」
というタイプです。この言葉は、物事の一部を聞いただけで全体を理解できる、賢明で察しのいいことのたとえです。このようなことが出来るのは、聞いた話を抽象化(一般化)できる能力があるからです。頭の中では、聞いた話から自分の頭に一般的な体系(抽象)を構築し、そこから具体的なこと(類似のこと)を察することをしています。つまり、新しいことを十知るのではなく、一つのことを聞いて高度に抽象化した概念を構築し、十の具体化な推定をしているということです。
学校の勉強を例にすると算数(数学)や理科(物理・化学)の「応用問題」というのがあります。基本的な計算問題のあと文章の形で出される問題です。勉強のできる子は、応用問題にパターンがあることに気付いています。
「こんな問題の場合は、こうアプローチする」
といういくつかの型を当てはめようとします。実績のある塾の先生の解説を聞いていると、必ず
「この問題は、○○のパターンの問題で、△△の力が試されます。」
といった前置きがあってから、模範解答の説明がされます。問題そのものを解くより、出題の意図やパターンを問題から読み取ることがカギです。あまり数学や物理が得意でない子らは、答えを出すことばかりに集中します。抽象化(一般化)が出来ないと、応用問題をいくらやっても、それは新しい具体的問題を1つ解いただけという勉強になってしまいます。
疑問を持つこと
「なぜだろう?」
と疑問を持つと、問いかけた自分や相手に考えさせることができます。沢山の「なぜだろう?」を考えることで、理解力が鍛えられます。「なぜだろう?」の答えを集め、「要するに○○は、こういうことだ」と抽象化できるのが、「地頭がいい」ということに繋がります。
偉人伝などを読むと、小さい時に大人がドキッとするような「なぜだろう?」を発したことがエピソードとしてよく登場します。発明王のエジソンが、小学校に行って「なぜ?」を連発して、先生が困りはて退学になったことは有名です。どんな子供でも親に対して、「なぜ?」を連発する時期があります。これに、大人が答え続け、そのうちに自分で調べたりするようになることを期待したいものです。
勉強に限らず、仕事やスポーツでも、疑問を持ち、考えながらすることは、進歩を早めます。
例えば、ゴルフ競技には、グリーン上で行うパッティングがあり、その上手下手がスコアに直結します。パッティングの要素は、2つです。一つは、狙った方向に正しく打つことであり、もう一つは、ボールがどう転がるかを見極めることです。(「ラインを読む」と言います。)ラインを読むとは、ボールを「どの方向に、どの位の強さ」で打つかですが、これを正確に判断できると各段にスコアが良くなります。この判断が正確にできるキャディは貴重です。そんなキャディにサポートしてもらってラウンドすると狙ったところに打つ技量のあるプレーヤーならきっといいスコアが出せます。ところが、そんなキャディがいないとパッティングがうまく行きません。ただキャディの言う通りにプレーしただけの好スコアは、次に繋がりません。自分で考え、キャディの判断をその理由を含めてきくことで、実力が付きます。
「なぜ、右にボールが曲がるの?」
と疑問を投げかけてみます。優秀なキャディなら
「山から常に風が吹くから芝目は・・・」
「次のホールに向かって皆この方向に歩くから芝目は・・・」
「周りの景色に騙されて、下りに見えないけど・・・」
そんな理由をつけて方向と強さを教えてくれるでしょう。この理由付けからくる判断と自分の判断とを比較しながらプレーすることで、パッティングが各段に上達します。(知り合いのプロの受け売りの言葉ですが。)
積極的思考をする
試合前のスポーツ選手のインタビューで、
「楽しみながらプレーします。」
といった言葉を良く聞くようになりました。単に緊張せずにリラックスして試合に臨むだけでなく、普段の練習から
「楽しみながらやる」
ことが推奨されています。実際の練習は、体力をつけるか、技術を磨くかということで、昔も今も単調な運動の繰り返しです。普通では、とても「楽しい」とは感じないものです。その結果、根性とか忍耐とかいったことが強調される練習になっていました。ところが、
「このトレーイングは何のためか?」
「どうしたら、もっとバットが速く振れるか?」
といったことを考える。更には、トレーニングの結果を計測して、何キロのバーベルが上がる、スウィングスピートを計測するなどができると、「楽しさ」が生まれます。また、練習に工夫が生まれ、一段と楽しさが増します。指導者の言われるままに、「作業」として練習している場合と比べると結果は大きく違います。
「考えながら行動すること」は、「楽しい」ことです。「楽しむ」というのは、積極的な思考をすることに繋がります。その結果を外からみると「地頭がいい」と見えるのです。
まとめ
勉強や知識の量に関係なく、元々の思考力や理解力が優れている人を「地頭(じあたま)がいい」と言います。「地頭がいい人」には、いくつかの考え方の特徴があります。
1)抽象度が高い見方ができる
2)常に疑問を持っている
3)積極的思考をする
これらを習慣としてやっている人が、「地頭がいい」と言われます。
もし、地頭を良くしたいと思うなら、これらを意識して「考える」習慣をつけることです。
参考記事:「仕事が出来る人」の特徴は、すぐ分かる、すぐ決める、すぐ行動する