「ツキ」は運、「流れ」は実力。「ツキ」に頼らす「流れ」を待つこと
「ツキ」は運、「流れ」は実力。「ツキ」に頼らす「流れ」を待つこと
「ツキ」は運、「流れ」は実力
「内野手に来た平凡なゴロが、イレギュラーバウンドしてヒット」
「ボールが木に当たって根元に落ち、次の一打が簡単に打てない状況」
こんなことが、野球やゴルフで起きると「今日は『ツキ』がない」と考えがちです。「ツキがない」と思うと、その後のプレーでもリカバリーできず益々ピンチが拡大していくことがあります。すると、「今は『流れ』が悪い」と思うようになります。
スポーツの運、不運は、「半々である」と分かっているのですが、幸運が続いたり、不運が続いたりすると「流れ」を感じます。バレーボールや卓球の試合では、互いに点を取り合っていたのが、ある時から片方に連続得点が入ることがあります。解説者は、
「○○チームに流れが来ています」
と口にすることがあります。しかし、残念ながら野球でもバレーボールでも「流れ」の存在は、証明されていません。連続得点はありますが、技量の差による連続得点はあって、幸運が続いて連続得点というのは、起こりにくいようです。様々な研究で、「流れ」とは、心理的なものであると言われています。
参考記事:犬飼和志「競技スポーツにおける「流れ」の研究」
幸運が連続する「流れ」はありませんが、実力による「流れ」はあります。実力選手の連続無失点イニング、連続三振奪取、連続バーデ―は、「実力に偶然が重なった」と言うべきものです。実力のない選手が、実力のなさに偶然が重なれば、連続失点の「流れ」が生まれます。
私は、「ツキ」と「流れ」を図のようにイメージしています。
1)「ツキ」は、その時の幸運や不運
2)「流れ」は、平均値としての傾向
「ツキ」である幸運や不運は、ランダムに表れます。しかし、長いスパンの時間で見れば、「流れ」つまり傾向が現れます。「流れ」が上昇傾向ということは実力がついてきていると考えられます。「流れ」は、運ではなく技量差によって生まれると言えます。
サイコロを振って出る目のように、結果が完全に確率で支配されていれば、「流れ」は平均に収束していきます。サイコロの目でいえば、1/6です。スポーツのように技量差がある事象では、時間の経過と共に「流れ」は実力のある方に傾くと考えられます。
客観的に見れば、幸運が連続する「流れ」は、ありません。そう「見える」だけです。実力差による「流れ」も、長いスパンでみた場合であって、短いスパンの「流れ」は、幸運(不運)のが、偶然続いただけです。しかし、人によっては、不運が続くとそこに「流れ」があると錯覚し、「自分には、『ツキ』がない」と思ってしまいます。「ツキ」がないと思い込むと、その「思い込み」によるマイナスの連鎖が、本当に起きることになります。運に対する向き合い方があります。
1)不運かどうかは考え方次第
2)運を呼び込む行動をする
3)「ツキ」に頼らす「流れ」を待つこと
これらの向かい合い方によっては、「運」を味方にすることが出来る可能性が高まります。
不運かどうかは考え方次第
「運が悪い人」は、不運のマイナス面しか見ない傾向があります。
例えば、自転車を乗っていて、道路のちょっとした凹みに車輪をとられて転倒。鎖骨を折る怪我をしたときの話。(実際に若手社員であった話です。)本人は、
「ついてない。これで、自転車に乗れないどころか、会社にも当分行けない。どう上司に言い訳しようか。」
などと、考えていたようです。ところが、上司に状況を電話をすると、
「鎖骨の骨折だけで済んで良かったな。ヘルメットをかぶっておらず、頭を打ったらどうなかったか。『ツイ』ていたな。」
と言われたそうです。
同じ事象でも、受け取り方次第で、幸運にも不運にもなる例です。
「自分は運が悪い!」と思っている人は、この若手社員のように感じ、「自分は運がいい!」と思っている人は、この上司のように考えます。意識しなくても自然とプラスに考える人が、「運のいい人」であり、逆の人が「運が悪い人」なのでしょう。
松下幸之助や野村克也は、常々
「自分は、運がいい」
と言い続けていました。客観的に見れば、両氏の人生は、山あり谷ありです。幸運も不運も同じようにあったはずです。しかし、全て「運が良かった」と思うことで乗り切っています。
運を呼び込む行動をする
「運が悪い人」は、始めからあきらめている傾向があります。
「運が悪い人」は、将来に対してマイナスをイメージする傾向があり、何かを始める前からあきらめていることが少なからずあります。
「不合格を心配して受験しない学生」「失敗を恐れて新規事業に踏み出せない経営者」など、自分自身で「運が悪い人」をつくり出しているようなものです。
自分自身の能力や努力を信じることが、「運がいい人」になる秘訣かも知れません。
ただし、やろうとしていることが、「偶然がすべてを支配する世界かどうか」の見極めが必要です。例えば、
「買わなければ当たらない」
こんな言葉で、宝くじが売られています。確かに宝くじを買わなければ、当たりませんが、1等や2等に当たる確率は、交通事故で死ぬ確率より低いのです。幸いにも、宝くじが当たらなくても「運が悪い」と考える人は少ないようです。ところが、パチンコやカジノのゲームになると、全て確率が支配していることを忘れ、「ツキ」や「流れ」を信じて「ギャンブル依存症」になる人が現れるので要注意です。
野村克也は、その著書で「不運は、備えが足りなかったときに起きる」との主旨のことを語っています。
例えば、内野ゴロがイレギュラーバウンドして内野手の頭を超えて外野に転がり、ランナーが生還して逆転で負けた。それは多くの場合、ランナーの走路がスパイク跡でデコボコなっていいて、その窪んだこところにゴロがぶつかって不規則なバウンドをするときである。そこで内野手は、守備範囲内の走路が荒れていないかどうかを確認して、即座に自分のスパイクの底で踏みならして修復する。それを見落としたり怠ったりして荒れたままにしておくと、そのせいでイレギュラーバウンドを招くということが少なからずある。
つまり、不運なことを想像し、それに備えておけということです。「不運を避ける行動」、「幸運を呼び込む行動」をすることが重要ということです。
「ツキ」に頼らず「流れ」を待つこと
「ツキ」は偶然。「流れ」は、実力というのが、私の持論です。幸運が続く「流れ」は、偶然が続いていると考えるべきです。狙ったサイコロの目が続けて出ても、長くは続きません。ところが、実社会での出来事は、運と実力が混じっています。
例えば、株の値上がりを期待して投資したとします。1日の内の株価変動、1週間の株価変動は、誰も予想するのは困難です。「ツキ」(運)が支配していると言ってもいいかも知れません。ところが、数か月、1年単位で株価を観察すれば、その会社の実力に見合ったところに落ち着きます。これが、「流れ」(実力)です。企業の業績が良ければ、株価はいずれ上がっていきます。その企業が属している市場が伸びていれば、やがて業績も良くなることが期待できます。世界的な投資家、ウォーレン・バフェットは、「自分の良く知っている企業の株を長期間保有すること」で、巨大な利益を上げてきました。彼の投資は、「ツキ」に一喜一憂せず、「流れ」を待つことに徹しているのです。
スポーツの世界も運と実力で構成されています。よく、
「ピンチの後にチャンスがくる」
といいます。これは、「流れ」の誤解を利用した選手を鼓舞するペップトーク。ピンチの後にチャンスがつくれるかどうかは、技術力、体力、気力です。つまり、実力です。「ピンチの後にチャンスがくる」という「流れ」があると選手に思わせれば、気力を充実させる効果があるかもしれません。ただし、本当にチャンスがくるかどうかは、選手の技術や体力と気力とのバランスがあるかどうかです。
参考記事:「積極的に動かない部下」を励ます「ペップトーク」の使い方
まとめ
「ツキ」は偶然。「流れ」は、実力です。幸運が続く「流れ」は、偶然が続いているだけです。しかし、この偶然である「運」に対する向き合い方があります。
1)不運かどうかは考え方次第
2)運を呼び込む行動をする
3)「ツキ」に頼らず「流れ」を待つこと
これらの向かい合い方によっては、「運」を味方にすることが出来る可能性が高まります。