「グルーバルゼーション」ではなく、「グローカリゼーション」がビジネスの決め手
「グルーバルゼーション」ではなく、「グローカリゼーション」がビジネスの決め手
世界でモノやサービスを売るのに必要な「グローカリゼーション」
GAFAなど米国発のビジネススタイルが世界を席巻しています。米国初のビジネスが世界中に広がる一方で、同様のサービスが各地で生まれ、これらも世界展開しています。モノ、ヒト、カネが国境を越えて広がることを「グローバリゼーション」と呼びます。モノ、ヒト、カネが国境を越えていくことは、昔からありました。しかし、近年特に「グローバルゼーション」が、注目を集めるようになったのは、情報技術の発展があるからです。モノ、ヒトの移動は、航空機を使っても情報の移動速度や容易さにかないません。カネもキャシュレス時代となり、簡単に国境を越えて移動します。どんなところにいても、世界と直接繋がり様々なビジネスができるようになりました。ただし、グローバリゼーションは、新型コロナウイルスによるパンデミックなど、厄介な問題も国境を越えて広がることになりました。
「グローバリゼーションは、米国流の世界的拡散だ」
と言う人もいます。確かにソ連崩壊後、米国1強時代になり、米国初のGAFAなどインターネットを利用した世界ビジネスが生まれました。米国流が世界を席巻したことで、「グローバリゼーションとは米国流を押し付けること」と解釈できないこともありません。その後、中国が台頭し中国流を世界に広めています。米国は米国企業流のグローバル化、中国は中国流のグローバル化をしているようにも思えます。
ただし、グローバリゼーションといいながら、米国で売れたもの、中国で売れたものをそのまま他国で売っても売れません。その国に合ったアレンジが必要です。
「日本で生まれたマクドナルドのテリヤキバーガー」
「日本コカ・コーラの売上1位は、ペットボトル入りのお茶」
といった具合です。
「グローカリゼーション」という言葉があります。「グローバリゼーション(地球規模で全世界的な)」と「ローカリゼーション(限定的な地域や地方)」を合わせた造語です。世界的に通用するサービスや商品であっても、その国や地域に合わせたアレンジを施して提供しなければ、大きく売上を伸ばすことはできません。グローカリゼーションはビジネスだけではなく、文化や社会の在り方の中にも見ることができます。欧米流の民主主義をグローバルスタンダートと信じていても、ロシアや中国で通用しないことはご承知の通りです。ロシアや中国は、彼らの民主主義をグローカリゼーションとしてやっているのかも知れません。
グローカリゼーションが必要になるのは、以下の3つの理由があるからです。
1)その国の法律
2)その地域の気候風土
3)その地域の文化、宗教
例えば、トヨタの乗用車は、品質と価格でグローバルに売れる力を持っています。しかし、実際には、その地域に合わせた設計になっています。車が右側通行の国では、左ハンドルです。(法律)悪路で水たまりの多い東南アジア向けの車は、エンジンの吸気口が高い位置に付けられています。(気候)米国の田舎では、ピックアップトラックが沢山走っています。(文化)
グルーバルに通用するモノやサービスに、ローカルな制約や人々の好みを取り込んで初めて、その国や地域の人々が満足します。平安時代の日本では、漢字から片仮名や平仮名を作りましたが、これも一種の文化的グローカリゼーションです。
グローカリゼーションを日本国内で見ると、「関東風」「関西風」などと全国ブランドの食品であっても地域により味付けを変えている例があります。全国展開のチェーン店でも、地域によって店の内装、商品が違うものがあります。そんなローカリゼーションを取り入れたビジネスは、商圏を拡大していく上でとても重要です。地域発の商品を全国展開、世界展開していく上で、グローカリゼーションは必須といえます。
その国の法律がグローカリゼーションを生む
米国発の商品や仕組みがグルーバル化していく中、日本ではこれらを提供出来ないことが多々あります。グルーバル化を妨げている最大の要因が法律です。更に、法でなくても「行政指導」もあります。海外で始まった遠隔医療、一般車用を使ったタクシーサービス等々は、日本ではすぐに開始できませんでした。すべて法的制約です。日本には、役目を終えた法律、時代に合わなくなった法律が無数にあります。これらの法律が、海外企業の日本進出を阻み、新しいビジネスの壁になっています。海外企業の日本支店の大きな仕事が、「役所対応」ということだと言われています。
いまグローバル化の先頭を走るGAFAに対して各国は、課税や規制をしようと躍起になっています。GAFAなどグローバル企業は、今後各国の規制との戦いになっていくと予想されています。
欧米の国々は、自国のビジネスを展開するのに、相手国を押さえつける力があります。ISO(国際規格)が、JIS規格を書き換えさせたようなことです。(現行のJIS規格は、ISOに従っています。)残念ながら日本発のルールが世界に適用されるのは稀です。日本のルールがグローバル化するのを期待するより、世界ルール(米国や中国ルール)を日本風に乗り切る方策としてのグローカリゼーションを行うのが現実的でしょう。
その地域の気候、風土
グローカリゼーションを生む大きな要因に気候風土があります。日本の夏の高温多湿を無視した東京オリンピックの日程は、多くの批判を浴びました。7月から8月にかけて、サッカーやオリンピックなどビッグゲームを開催するのは、欧米の気候に合わせたものです。それが、あたかもグルーバルスタンダードのごとく押し付けたことが問題でした。(他にも、TV放映権の問題等がありましたが)
住宅は、完全なローカルな商品です。明治時代、日本では世界のスタンダードであるレンガ作りの建物を盛んに建設しました。ところが、大正12年関東大震災が発生し、レンガ作りの建物は無残に崩壊してしまいました。有名な浅草の高層ビル凌雲閣(りょううんかく、高さ52m)も崩れ去りました。地震国日本では、耐震性のないレンガ作りは、不適切な工法でした。
エネルギーの安い米国の住宅は、セントラルヒーティングが標準です。冬場、マイナス30℃を記録するような所では、部屋ごとの暖房ではなく、トイレや廊下も含めたセントラルヒーティングの方が快適です。部屋ごとのエアコンを作っていた日本メーカーは、米国市場では、全く歯が立ちません、ところが、中国などアジア市場では、日本部屋ごとのエアコンが人気です。
建物、住宅関連の商品は、気候、地震の有無、エネルギー事情などの条件をいれたグローカリゼーションが重要です。
その地域の文化、宗教
イスラム圏の人口が増加し交通の便が良くなることで、日本でもイスラム系の人々を多く見かけるようになりました。イスラム教徒には、アルコールを飲まない、豚肉を食べないといった制約があります。グルーバル化が進んでも、宗教的な制約が変わることがありません。むしろ、イスラム教徒が食べられる食材(ハラルフード)を揃えることが、イスラムのグローバル化に対応することであり、非イスラムからみれば、グローカリゼーションです。日清のカップヌードルは、幸いなことにチキンスープたったので、イスラム圏のインドネシアでも売れました。もし豚骨スープだったら、違った展開になっていたかも知れません。
日本のセブンイレブンは、米国のそれとはまったく違います。米国のセブンイレブンに弁当コーナーはありません。韓国のセブンイレブンには、夏でも熱い食品が並んでいます。これらは、食文化の違いを反映しています。しかし、店の入口の赤と緑と白のストライプ模様。日常的によく使う商品がそろっているのは、共通です。世界に拡大した日本のコンビニは、まさにグローカリゼーションの典型的な例です。
ガラパゴス化の罠
その国、その地域にあったアレンジをするグローカリゼーションですが、過剰な対応は「ガラパゴス化」の罠にはまることになります。機能が盛りだくさんの日本の携帯電話は、日本でだけしか通用せず「ガラケー」と皮肉を込めて言われてしまいました。
日本の軽自動車は、素晴らしい性能を持っていますが、日本だけの商品です。軽自動車として、エンジンサイズ、ボディーサイズに制約を設け、税金を安くしたお陰で、完全に日本だけで通用する仕様となってしまいました。
まとめ
「グローカリゼーション」とは、「グローバリゼーション」と「ローカリゼーション」を合わせた造語です。世界的に通用するサービスや商品であっても、その国や地域に合わせたアレンジを施して提供することが成功の秘訣です。グローカリゼーションはビジネスだけではなく、文化や社会にも見ることができます。
グローカリゼーションが必要になるのは、
1)その国の法律
2)その地域の気候風土
3)その地域の文化、宗教
が国や地域によって異なるからです。