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100年前に飛んだ!高御座山から日本初?のグライダー飛行をした若者がいた!

2021/11/06
 
高御座山の飛翔の碑
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長年、大手鉄鋼会社及び関連企業、米国鉄鋼会社に勤務。仕事のテーマは、一貫して生産性の向上。生産部門、開発部門、管理部門、経営部門において活動。何事につけても「改革しよう」が、口癖。日本経営士会会員。 趣味:市民レベルのレガッタ、ゴルフ。

100年前に飛んだ!高御座山から日本初?のグライダー飛行をした若者がいた!

 

高御座山山頂にある「飛翔の碑」

兵庫県南部の加古川市と高砂市境に高御座山(たかみくら)という山があります。標高304m「播磨富士」とも呼ばれ地元で親しまれている山です。周りに高い山がなく、山頂からの眺めは格別です。播磨平野、瀬戸内海、淡路島に明石海峡大橋が見えます。天候によっては、四国、大鳴門橋、関空まで見通せます。この山は、南側が断崖になっていて、ロッククライミングの名所でもあります。

山頂には高御座神社があり、その近くに「飛翔の碑」が立っています。この碑には、ちょうど100年前の1921年に、地元の若者がグライダーで山頂から飛行したと記されいます。この碑は、飛行40年後の1961年に建てられました。月日がたち碑文も読みづらくなっていますが、碑の立つ断崖はほぼ垂直で、100年前と同じく今も人々に「飛べる」ような気にさせる風景が広がっています。

先日、この山に登りました。(写真はその時のもの)100年前の若者の飛行を想像しながら、この記事を書きます。内容は、神戸新聞の記事等を参考にしています。例えば「自作グライダーで滑空に成功 『渡辺信二さん紹介展』

Flight monument

グライダー飛行をした若者(渡辺信二)の物語

グライダーによる滑空飛行をした若者は、地元加古川市志方町の渡辺信二氏です。後に彼の飛行の様子を参加した方が、冊子に寄稿されています。

「・・・信二さんは、4mのグライダーをつくりあげた。大正10年10月17日、父信一氏の一度だけという許しを得て、町の青年団の渡辺準、藤本和蔵、竹内忠雄、池沢徳次、平田重成等の友人や小学生であった私たち10人も手伝って、グライダーを分解して高御位山頂まで運び上げた。
山頂にて組み立て、神社南側の岩の上へグライダーをかつぎ上げた。友人たちはロープで体をしばり、神社の柱にくくってグライダーと共に崖から落ちないようにした。
「1、2、3」
のかけ声と共に信二さんの乗ったグライダーを頭上高く差し上げ、一気に前方向けて機体をつき離したが、尾翼が途中の松の大木にひっかかった。それでも機体は飛行し、目標である下の池には着水しなかったものの信二さんは着陸した。機体は、当初の目標地近くに着陸でき参集者一同大成功と喜びあいました・・・」(『志方郷・創刊号』
に一部加筆)

記録によれば、300mほど飛行したとあります。高低差が250mほどですから、「滑空」というより急降下に近かったようですが、立派な「飛行」です。

その後、渡辺信二は、民間の飛行士になり、堺・高松・福岡の運航に従事。また、甲子園でおこなわれるようになった全国中等学校野球大会(現:高校野球大会)の開会式で、始球式のボールを落とす飛行にも参加しています。
1926年4月6日、堺発福岡行きの郵便飛行中、神戸沖で火災が起き墜落殉死。渡辺信二26才、日本における郵便飛行の最初の犠牲者となりました。

View from the mountaintop

もしかしたら日本初のグライダー飛行だったかも

茨城県神栖市の砂山都市緑地には、「大日本滑空始翔乃地碑」があります。

「1930(昭和5)年7月11日我国の滑空の父と称される磯部鈇吉(おのきち)氏が、配下の若者を引き連れ、自作の滑空機をもって、この鹿島の砂丘で、我国初めての滑空機堪航(耐空)検査としての飛行を行い、滞空22秒という日本最初の公認記録を記した。」

とあります。つまり1930年が日本のグライダー飛行の始まりと読めます。一方、高御座山頂の「飛翔の碑」には、「関西初の飛翔」と記されていますが、飛んだのは磯部より9年早い1921年。もしかしたら、日本初のグライダー飛行は、渡辺だったかもしれません。この疑問について、ネット記事がありました。「日本のグライダーの初飛行について」

渡辺が飛行した1921年、ライト兄弟が動力付き飛行機で初飛行して20年が経過していました。2014年に始まった第1次大戦では、早くも飛行機が使われています。むしろグライダーの方が難しく、なかなか飛行は成功していなかったようです。渡辺の飛行が日本初かどうかは別として、自ら飛んでみたいと思い独力で実行したことが偉業に思えます。

ブログ記事紹介;リーダー育成は、部下に「面白い仕事」「やりがいのある仕事」を任せることから

  

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