ゼロリスク思考の問題点とゼロリスク思考に陥る理由と対応
ゼロリスク思考の問題点とゼロリスク思考に陥る理由
ゼロリスク思考の問題点とゼロリスク思考に陥る理由
「在庫を多く持っていれば、急な注文にも対応できる」
「損をしたくないから、株式投資はしない」
仕事や日常生活において、リスクとリターン(利益)のどちらを取るか迷いながら決断を迫られることがあります。「レストランで何を食べるか」といったことから、「新規事業に投資するかどうか」といったことまで、物事を判断する時には、「リスクとリターンのバランス」が常に求められます。
例えば、在庫を多く持つことは、品切れのリスクを減らせますが、コストがかかります。銀行の定期預金は、絶対に損はしませんが、微々たる利子しか付きません。
そんな「リスクとリターンのバランスを考えて判断する」ことに対して、「リスクはゼロにすべき」という考え方があります。これが「ゼロリスク思考」です。先ほどの例では、
「絶対に品切れを起こさない」
「絶対に元本割れをしない」
という考え方です。ゼロリスク思考を意識していなくても、実際にはゼロリスク思考に陥っていて、新しいことをするができない人や組織があります。もしかしたら、今の日本国も、この状態であると言えるかもしれません。
ゼロリスク思考が強い会社では、新規企画が提案された時、潰すのは簡単です。
「もし、○○が起こったとき、絶対に大丈夫ですか?」
といった心配なことをいくつか質問すると、大抵企画は否決もしくは保留ということになります。(私もこの手を度々使ったり、使われたりしました。)
ゼロリスク思考(行動科学では、「ゼロリスクバイアス」)は、リスクを完全に排除しようとする考え方を指します。この思考が強くなると、以下のような問題が生じます。
1)非現実的な期待
現実世界では、リスクを完全にゼロにすることは不可能です。ゼロリスクを追求することで、達成不可能な目標に向かってリソースを費やし、他の重要な課題への取り組みが疎かになる可能性があります。
2)コストの増大
リスクを完全にゼロにしようとすると、コストが極端に増加します。どんな地震にも耐える建物、どんな津波も防ぐ防潮堤のコストは想像を絶するものです。現実には、「震度7に耐える」、「高さ15mの津波に備える」といったリミットを仮定して、コストを抑えることが行われています。
3)改革の遅れ
リスクを完全に排除しようとするあまり、新しい技術やプロセスの導入が遅れ、結果的に会社あるいは社会全体の発展を遅れる可能性があります。例えば、イノベーションが起きにくい、個人情報の漏洩リスクを恐れてマイナンバーカードの普及遅れやキャシュレス決済比率が低迷しているといったことです。
問題の多い「ゼロリスク思考」に陥るのには、いくつかの理由があります。それは、
1)「リスク」を正しく理解していない
2)感情的な反応が強い
3)メディアの影響
といったことです。ゼロリスク思考は、過度な安心感を追い求めることで、リスクとリターンのバランスを見失う危険性があります。リスクと利益をバランスよく管理し、受け入れ可能なリスクを理解することが重要です。
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「リスク」を正しく理解していない
リスクとは、
リスク = 発生可能性 × 影響度(重大性)
で決まります。つまり、危険な状態になる可能性とその場合の影響度で評価すべきものです。
この影響度(重大性)を「ハザード」と言います。「起きたときの深刻さ」と言うこともできます。
例えば、洪水が起きた場合の推定水没深さは、自治体が発行する「ハザードマップ」に示されています。しかし、これは「リスクマップ」とは呼びません。起きた場合の影響は書かれていますが、発生の可能性が書かれていないからです。
2017年12月13日広島高等裁判所が、愛媛県の伊方原子力発電所3号機について、「熊本県の阿蘇山で巨大噴火が起きて原発に影響が出る可能性が小さいとは言えず、新しい規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は、不合理だ」として、運転の停止を命じる仮処分の決定をしたことがあります。この決定にとやかく言う立場ではありませんが、カルデラ噴火という破滅的な災害に対しての「リスク管理」という観点から言えば、噴火の影響という点ばかりに焦点があたり、発生の可能性について議論されていないことが気になります。
リスクを考えるとき、発生頻度と影響度で考える必要があることが、関係者で共有されていれば、一方的な「ゼロリスク思考」に陥る可能性が防げます。
感情的な反応が強い
人は本能的にリスクを避けようとします。このため、リスクをゼロにしたいという欲求が強くなることがあります。リスクを大きく意識するのは、「恐ろしさ」と「未知性」に対してだと言われています。
重大な事故や災害が発生した後、「恐ろしさ」を強く感じてゼロリスクを求める傾向が強まります。
また、リスクについての情報が不足していたり、自分で経験したりしたことがないような不確実性が高い場合(未知性)、人は過剰に反応しリスクを完全に排除しようとする傾向に陥ります。
リスクは、発生の可能性と影響度によって決まるのですが、大きな事故や災害などを目にすると影響であるハザードが強く印象に残り、発生の可能性を考慮することなくゼロリスクと求めてしまうことになります。
「羹(あつもの)にこりて膾(なます)を吹く」
という諺がありますが、これは典型的な「セロリスク思考」からくるものでしょう。
メディアの影響
テレビ、新聞、ネットなどメディアは、事故や災害の報道をする場合、起きたことの大きさを重視して報道されます。つまり、リスクのうちのハザードの大きさが伝えることの中心になっています。更に、テレビやYouTubeといった動画による報道が中心となり、より鮮明に起こったことを観る人に印象付けます。メディアが、ハザードを過剰に報道することで、人々の不安が高まり、「ゼロリスク思考」に陥りやすくなっています。
メディアは、視聴者の注目を集めることを求められています。災害現場、ときには戦争地域の真っ只中から中継します。事件や事故の当事者に直接インタビューし、視聴者から共感を得そうな回答を選択し報道しています。大切なのは、メディアが、そんな姿勢で報道していることを理解しておくことです。感情的な報道を視聴し共感しても、リスクの判断は、理性的に行うことを心掛けることが重要です。
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まとめ
「ゼロリスク思考」(ゼロリスクバイアス)は、リスクを完全に排除しようとする考え方です。これは、コストの増大、改革の遅れなどの問題を引き起こします。
「ゼロリスク思考」に陥る理由は、以下のようなものです。
1)「リスク」を正しく理解していない
2)感情的な反応が強い
3)メディアの影響
ゼロリスク思考は、過度な安心感を追い求めることで、リスクとリターンのバランスを見失う危険性があります。リスクと利益をバランスよく管理し、受け入れ可能なリスクを理解することが重要です。
参考記事:経営のリスクマネジメントとは、リスクとリターンのバランスをとること