司会者を「MC」と呼ぶ理由とイベントや会議の司会のコツ
司会者を「MC」と呼ぶ理由とイベントや会議の司会のコツ
司会者を「MC」と呼ぶ理由とイベントや会議の最終目的
最近テレビ番組で「司会者」のことを「MC」と呼ぶことが増えています。私は、この言葉に違和感があったのですが、慣れてしまいました。若い人の中には、「司会者」というより、かっこよく聞こえるからと思っている人もいるかも知れません。
実は、司会者をMCと呼ぶのは、従来型の司会者と区別したいからです。従来型の司会者は、台本通りに番組を進行します。MCとは、マスターオブセレモニー(master of ceremony)の略で、出演者たちの個性を尊重して、その能力を引き出しながら、番組全体を指揮する人を意味しています。俗に言う「仕切る人」のイメージです。
テレビやラジオで司会者を「MC」と呼ぶことが増えてきたのは、番組の企画構成を司会者個人の能力に委ねるようになってきた事情があるのかも知れません。
そもそもイベントや会議には、目的があります。その目的を達成することが、司会者の使命です。司会者には、事前の段取り通りイベントや会議を進める「進行」の役目と、「コントロール」する役目とがあります。MCと呼ぶのは、司会に臨機応変なコントロール力を期待しているからです。
葬儀の司会は、決められた手順に従って、滞りなく進める進行役の例です。結婚式の披露宴の司会は、MCつまりコントロール役でしょうか。「新郎新婦を祝福し、列席者に披露する」という目的に向かって、臨機応変に宴を進めることが求められます。
イベントや会議は、目的が明快なものもあれば、曖昧なものもあります。中には、公の目的と真の目的が異なることもあります。結論の出しようがない会議では、その傾向が強くなります。司会者は、イベントや会議の真の目的を理解して、進行することが求められます。
イベントや会議には、様々な目的がありますが、究極的には、結論を出すか、出さないかしかありません。これに、結論の種類を加味すると、イベントや会議の目的は以下の3種類です。
1)結論を出さず「開催した実績」をつくること
2)何らかの結論を出すこと
3)主催者の望む結論を出すこと
これらの目的に沿って司会者が、イベントや会議を進行することができたら役目を果たしたことになります。
結論をださず「開催した実績」をつくるイベントや会議
様々な場面で登場する定例会議は、状況を報告する場となっていることが多いものです。結論を出すことが目的ではありません。(定期報告を受けてボスが指示を出すタイプの会議は違いますが。)毎年行われるG7やサミットも結論の出ない会議と言えるものです。いわば、「開催した実績」をつくることが目的です。この手の会議やイベントの司会者は、出席者が、その所属母体に顔が立つように配慮し、つつがなくイベントや会議を終了させることが使命です。多くの国際会議では、司会者である議長国が、こんなお決まりのメッセージを発します。
「十分な議論をしたが、最終合意に至らず。議論を今後も継続することなった。」
議長の役目は、いつどんな形でこのメッセージを出すかです。
結論を出すことが目的ではないイベントや会議の司会者は、そのイベントや会議に充実感が出せるかを考えることがコツです。
テレビやラジオ番組は、ニュースであれバラエティであれ「開催した実績」、言い換えれば時間枠を埋めることが絶対条件です。司会者(MC)の役目は、番組の時間枠を埋めた上で、内容が充実しているかどうかです。充実しているとは、番組の視聴者が満足するかどうかであり、結果として高い視聴率が取れるかどうかです。司会者は、決められた時間内で、与えられた出演者と映像などを使い、視聴者が興味を持つ内容を発信し続けることが求められます。
何らかの結論を出す会議
結論がどうであれ、とにかく決着をつけることが目的のイベントや会議があります。各種コンクールは、その典型的な例です。主催者は、結論さえ出てくれれば、いいのです。この手のイベントや会議の司会者は、「公平」であることが求められます。出席者に平等に発言やパフォーマンスを発揮する機会を与えることが重要です。結論に至る過程が、「公平」であることが大切です。
ローマ法王を決める会議を「コンクラーベ」というそうですが、猛烈に時間がかかるものです。そこで、結論を出すために多数決が導入され、世間に広まったと言われています。あらかじめ、結論は、「多数決で決める」とか「くじ引きで決める」としておけば、「公平性」を演出できます。
司会者の腕の見せ所は、結論を出すタイミングです。議論が出尽くした感が出席者に出たところで、採決など決定の手続きに持ち込むことです。
主催者の望む結論に導く
日本人は、
「会議は、参加者が意見を出し合い、最適の結論をだすことが大切」
と小学校から教えられています。ところが、「最適」なんて、誰にもわかりません。世の中の多くの会議は、主催者の筋書き通りに進めることで、主催者の能力を活かし同時に労力と時間を節約しています。司会者の役目は、主催者の望む結論に導くことです。
海外の会議に出席し、露骨に司会者の意図で会議が進むことにしばしば当惑した経験があります。司会者としては、
「反対意見のある出席者は、その意見を発言すればいい」
との考え方です。司会者は、出席者が発言しないということは、自分に賛成であるとして会議を進めます。
米国で設備投資に関する会議での話です。議長である司会者は、A社の設備を購入したいと考えています。他にも、B社やC社が購入先候補に挙がっていました。私は、どちらかといえばB社を推薦していましたが、積極的な発言をしていませんでした。
「日本では、A社の設備が多いですね?」
そう議長は私に質問してきました。
「確かにA社が多いです。」
そう事実だけを回答したのですが、司会者は、私も「A社の設備を推奨している」と言い換えてしまいました。
「私は、A社を特別と考えていない。推奨なんてしていない!」
と否定したのですが、司会者はあたかも「私の立場では、特定のメーカーを推奨できない」と出席者に思わせてA社に決めていましました。司会者の恐るべき能力です。
日本では、司会者による露骨な結論の誘導はできません。決め方のルールは、1)決裁者(上位者)が決める方法と、2)多数決とがあります。他に「くじ引き」などもありますが、これも決裁者が決めるか、多数決で決まるかです。
どんな決め方にしろ、日本では、参加者の「納得」が必要です。トップか決めると、「独裁的」と批判されます。多数決でも全員一致でない限り「少数意見の尊重」「数の横暴」などと不満を言う人がでます。たとえ、それがルールに沿っていても、関係者が「納得」しないと、その後に出席者に不満が残り、問題が発生しやすくなります。この「納得」の必要性は、「逆説の日本史」などの著書で知られる井沢元彦氏が述べているところです。例えば、「新・井沢式 日本史集中講座『鎌倉新仏教』編」(徳間書店)
司会者の望む結論で決めるには、決裁者に発言させるか、多数派工作が終わったところを見計らい多数決で決めることです。ところが、参加者を納得させるのは容易ではありません。参加者を納得させることが、司会者の腕のみせどころです。
不満の有りそうな出席者に過去の武勇伝をしゃべらせ自己満足させてから、結論に同意とまでいかなくても「結論を受け入れることやむなし」と言った気持ちにさせたこともあります。
あるいは、結論を実行する際の心配事(リスク)をさんざん発言してもらったこともあります。結論に不満を持つ人が、リスクについて発言することで自己防衛ができれば、結果を受け入れてくれます。
これら司会者の進め方は、人気MCの番組進行と重なるところがあります。
まとめ
司会者をMCと呼ぶのは、イベントや会議のコントロール力に期待しているからです。MCとは、master of ceremonyの略。司会者は、イベントや会議の目的にあった進行が求められます。イベントや会議の目的は以下の3種類です。
1)結論を出さず「開催した実績」をつくること
2)何らかの結論を出すこと
3)主催者の望む結論を出すこと
これらの目的に沿って司会者が、イベントや会議を進行することができたら役目を果たしたことになります。それは、人気MCの進め方に共通するものがあります。
参考記事:「決められない」非効率な会議の原因は、日本人の「話し合い絶対主義」の影響